2009年5月17日日曜日

【私から見た母】治療を開始してから約3ケ月間

母の抗がん剤治療は「TS1+タキソテール」で、1クールが4週間。
第1週目の初日にタキソテールの点滴を受け、14日間分のTS1が処方される。
第3週目に病院で、問診。
第3週目と第4週目は休薬期間。

タキソテールの点滴は、少し体が火照るような感じだったらしい。
お酒に弱い母は、アルコールに溶かされた抗がん剤の点滴で、少し酔っていたのだろう。
確か、TS1は朝と夕方の食後に飲んでいた。
タキソテールを受けたときの医療費は、数万円単位だったそうだ。

母の場合は、口内炎はできなかった。
しかし、口角炎ができた時期もあり、塗り薬を処方されたこともあった。

各クールの第4日目から6日目あたりに、お腹が緩くなっていたようだ。
トイレに間に合わないようなことも、あったらしい。

下痢があるときは、吐き気もひどかったように思う。
特に、何かを吐くわけでもなかったが、
においに敏感になっていて、ご飯やおでんのにおいなどにムカツキを覚えていた。
一番吐き気がひどかったのが、母が日記をつけ始めた直前。
あの時は脱水症状もあったようで、病院の外来に行って、点滴を受けた。

第3週目に入ると、抜け毛が目立つようになる。
不思議なことに第4週目にはいると、抜け毛の数が減っている。
といっても、治療を継続していくうちに、髪の毛は薄くなったが、
かといって、地肌が見えるまでも行かず、65歳ならあり得る薄さだったので、
私たち家族はあまり気にはならなかった。
しかし、母はかなり気にしていたようで、
「おしゃれな女性は、いろいろなウィッグを楽しんでいるのだから、
お母さんもおしゃれだと思えばいいよ。慣れてきたら、いろいろ買ってみれば。」
なんて励ましたりもした。
ほとんど使用しなかったが、部分カツラとその後に、全カツラも買った。
母の弱音を聞いた父が
「俺の頭を見てみろ!おまえのは、薄くなったって言わないんだ!」
と逆切れのような、励ましのようなことを言って、爆笑したのを覚えている。

胃がんが発覚する直前では、
母はお茶やコーヒーも飲まず、常に白湯を口にしており、
タンパク質系の食べ物も避けていたようだった。
でも、抗がん剤治療を開始してから、
食べる種類が増加し、お茶やコーヒーも飲むようになった。
いきなり食事を開始すると、
だいたいと言っていいほど、透明な溶けたゼリーのようなものを吐いていた。
病院で吐いたものを見せたら、「唾液ですね」と言われた。
吐き気がもたらしたことだったんだろう。
しかし、食事開始前に、冷静スープやヨーグルトなど、「ドロ」っとしたものを先に口にすると、
吐くこともなく、スムーズに食事ができた。
母は「食べられない」とよくこぼしていたが、
少し高めのコースランチなんかを食べに行ったりもしていた。
おかげで、体重も少しずつ増えていたようだ。
眠る前に、カステラと牛乳を食べ、できるだけカロリーをとろうとした努力のせいもあったかも知れない。

2月末からは体調も良く、
ヨガ教室にも通い始めたし、ハイキングに行っても、ひょいひょいと歩いていた。
しかし、3ヶ月検診でのレントゲンの結果では、
「消え方が少ない」
と医師から説明を受け、
「死ぬんだ」と、かなり精神的に不安定だった。
しかし、その後に受けた精密検査の結果では、
リンパ節の腫れが半分ぐらいになっていたらしく、抗がん剤は奏功しているという結果となった。
精密検査の結果の説明を受ける前日に、母から妙に興奮した電話がかかってきたのを覚えている。
「こんなに体の調子が良くなっているのに、効いていないなんておかしい」と。
本当に不安だったんだろう。

3ヶ月検診を受けたころの母の調子は本当によく、
「このまま胃がんでもいいよ」と感じれるぐらいだった。
抗がん剤治療の周期と体の調子の関係がなんとなくわかってきたし、
奏功しているとの結果を受けて、母もお出かけや旅行等の計画を立て始めた。
私も、夏ぐらいに胃がんの手術ができるかもしれないと、勝手な期待を持っていた。

2009年3月22日日曜日

【私から見た母】ちゃんと検診していれば・・・

胃がんが発覚してから、母はよく
「ちゃんと検診していれば良かった」
と言っていた。

母は退職するまで、
約10年前に職場の検診で見つかった家族性ポリープ(良性)の経過観察もあり、
毎年必ず、胃カメラを飲んでいた。
でも、退職してからの数年間、胃カメラ検査をせず、簡単な検診で済ませていた。
その矢先に末期状態の胃がんが見つかったのだ。

母と家族とでそんな話を何度となくしたが、いたる結論はいつも
①過去のことを後悔しても、どうしようもない
②検診していたとしも、うまく見つかっていたとは限らない
③見つかってよかったんだ。でなければ、さらに悪化していた
というものだった。


私たち家族も、過去を振り返って、あの時気づいていればという回想をよくした。
①夏に母の体重が減った
②夏に登山したとき、「来年からは無理かも」と母がもらした
③夏に「お腹がぐにょぐにょする」と、母が訴えていた
といった様々な母の異変に、
無理やりにでも病院に連れて行けばよかったのではと。
その一方で、
夏に病院で検診したとして、結局、同じ病状だったのではないか、
または、手術はしてみたけれど同じ状態になったのではないか、
という話もした。


3月のある日、母と電話で話をした時、母はこう言った。
「過去を振り返ってもしょうがない。現実がかわるわけではない。
でも、将来について考えても、どうなるかわからない。
結局は、その時、その時を一生懸命に生きるしかないんだ。」
そう言いつつも、やっぱり後悔の念は消えてくれないものだった。

2008年3月20日(木)・晴

午前中、安静にしている。
お彼岸で、(親戚)へは夫と(姉)、(姉の娘)で行ってもらった。

午後、気分が良かったので、(母の実家のお寺)にお彼岸のお参りに行った。
観光地としてお寺が話題になって、活発に動きがあるようだ。
喜ばしいことだ。
弟や父、母が生きていたら、どのように思っただろう。
できるだけ協力してやりたいものだ。
懐かしく、ついおしゃべりをして気分の良い日だった。
自分の命がある限り、(母の実家)については、心を配っていきたい。

2008年3月19日(水)・晴

予定通り病院。
やはり心配で、昨日はよく眠れなかったが、
CTの結果、今まで通り治療を続けることになり、大変うれしかった。
抜け毛も気にしないことにしようと思った。
子ども達も喜んでくれた。
点滴に時間がかかり、2時過ぎになった。
次回は何か食べるものも持ち込んだ方が良いようだ。

3時30分、約束していた東芝の人から冷蔵庫を修理してもらう。

副作用が出ないように、静かに安静にしていた。

早速、(母の友人たち)にTELして、4月25・26日に花見の旅に出るこになった。

2008年3月18日(火)・晴

午前中、(母の友人)宅に遊びに出かける。
お土産にランを一鉢。
しばらくお茶でおしゃべり。
その後、公園まで雪割草のプランターを取りに行く。

去年の苗も育って、庭で花開く予定。
昨日の展望台周辺の散策に比べ、さらに雪割草が咲いていたようだ。

午後、(母の友人)と(地元の山)登山。
どうかなと思っていたが、楽に登れてうれしかった。
山頂にも雪割草があった。

2008年3月17日(月)・晴

確定申告も無事に終わり、皆さんさわやか。

(姉の娘)の具合が悪く、(幼稚園)をお休み。

午後、夕方、(地元の公園)の散策。
残雪がきれいで気分良し。
雪割草が少々咲いていた。

冷蔵庫がおかしく、電気屋さんにTEL。

晴天だったので、庭のゴミを袋に詰め、
明日のゴミ出しに備えた。

2008年3月16日(日)・晴

夫の車を新しくする話が持ち上がり、
車の見学にトヨタのあちこちに出かける。
今買えば、しばらく乗ることになる。
慎重に選ばなくては。

その後、(デパート)に行って、事務所で配るお菓子を買う。
昼に冷やしそばをデパートの食堂で食べるつもりであったが、
胃が受け付けず、食べられなかったり、もどしたりでショック。
帰りはパンをかじりながら帰宅。
やっぱり病人なんだと再確認。

夕食は(姉)のステーキ、ベークドポテト。