2009年2月28日土曜日

2008年3月5日(水)

朝から病院。いつもの通り。

この間のカメラの結果、消え方、小さくなり方が少ないように言われて、気になる。
自分としては良くなっているように思われるのに。
明後日、CTを撮るとさらにわかるものと思われる。

現実は認めて、またガンセンターなりに出かけること、
入院して新薬を試すのも仕方がないと思う。

でも、私の場合は、
ガンセンターに聞きながら、消えるように治療するらしいことがわかってきた。

2008年3月4日(火)・曇

午前中、事務所。

昼、(母の友人達)と3人で博物館のレストランへ。
ひな祭りランチを楽しんだ。
12時、総合会館集合。
地鶏ワイン煮、ワカサギのマリネ、オムレツ、蟹パスタ、
長いもフリッター、パン、サラダ、デザート、コーヒー。

(母の友人)よりTEL。

皆と同じに楽しく食べられ、今更ながら幸せを思う。

明日は病院。
良い結果でありますように。

2008年3月3日(月)

(母の友人)と(レストラン)でランチ。
残雪の庭を見ながら楽しむ。
カレイの煮物、湯葉、切干大根煮、そば、野菜のてんぷら。
幸せな時間。ウィンナーコーヒー。

2008年3月2日(日)・晴

雪が消えて、春らしくなってきた。
庭の草花のことが気になる。
春の楽しみ!

2008年3月1日(土)・曇

午前中、事務所。

昼、夫と(レストラン)でチャーハンを食べる。

その後、(母の友人)が家に遊びに来る。
ヨガの順序プリントを作ってもらう。
夜、少しやってみる。

(姉)一家は、(温泉)に一泊。

2008年2月29日(金)・曇晴

11時待ち合わせで美術館。
写真展、県立公園の散歩、(レストラン)での食事を(母の友人)と楽しむ。
帰りに、春の花、フリージア、サクラ草など求めて、家に飾る。

気分の良い日。

2008年2月28日(木)・曇

昨日、眠れなかったので、午前中ぐったり、のんびり。

2008年2月27日(火)・曇

午前中から事務所。

昼、(姉)と3人で久しぶりに(レストラン)へ。
ハンバーグランチを食べる。
全部は無理だったが、かなり食べた。
気分良し。

夕食は(姉の旦那)のミートソース・パスタ。
夫、明日の葬儀のため、夕方東京へ。
(地元の駅)まで送っていく。
病院から出られて、車の運転ができる幸せを感じる。

(姉)、(私)、(兄)の生活をとやかく言えないが、気がかりも多い。
二人が(私たち夫婦)に香典ときいて、心がなごむ。

2008年2月26日(火)・曇

午前中、事務所。

昼、(スーパー)のお弁当。
夕食にポテトオムレツを作って食べた。

体重はあまり増加しないが、まあ元気。

午後、夕方、一人ゆっくり入浴。
髪が抜けて少なくなったようだ。
しかたがない。

2008年2月25日(月)・曇 【父命日】

午前中、事務所。

昼、(母の友人)とドライブで(観光名所)へ。
ピザ、デザート(シャーベット)、コーヒーを楽しんだ。
帰り、家でお話。
気分の晴れる日。
お土産に、いちご、里芋のおすそわけをする。

2009年2月15日日曜日

2008年2月24日(日)・雪

冬に戻り、一日中、雪、吹雪。
一歩も外に出ず。
さすがに運動不足が気になる。

(姉の娘)の発表会。
私以外はみな、出かける。
ビデオに撮ったものを見せてもらう。
去年より大きくなっている。

あまり動かないので、トイレ掃除をする。

(私の旦那)のお父さんが「くも膜下出血」で亡くなられた。
急な話でびっくり。
葬儀には、夫に行ってもらう。

いつ何が起こるか解らない。
静かで何事もないのが一番。

昨日の段階では考えられないことだ。

朝、ごはん、卵、ヨーグルト。
昼、やきそば。
夜、ヨーグルト、焼き肉。

2008年2月23日(土)・曇

午前中、(兄の奥さんのご両親)夫妻が、たくさんいちごを持ってきてくださる。
久しぶりに話をして、楽しく、うれしかった。

外出を控えて、静かに過ごす。

(私)より電話。
昨日は楽しかったようだ。
二人でジャズを見ながら、ディナー。
若者らしい。

朝、ごはん、焼き魚。
昼、餅、チーズ、みかん。
夜、焼きそば、ヨーグルト。

2008年2月22日(金)・晴曇

午前中、静かに過ごす。
午後、事務所。

暖かく、春らしくなって来た。
庭の草花の芽が膨らむのが楽しみ。

昼、鍋焼きうどんを作りながら、夕食の雑煮を作る。
夕方、ポテトサラダを作り、夕食にした。

入浴、洗髪で気分良し。
まだ、食欲が本調子ではない。

朝、ヨーグルト、飯、魚、みかん、カボチャの煮物。
昼、鍋焼きうどん(うどん、ねぎ、卵)
夕、煮魚、サラダ、飯、たくわん

2008年2月21日(木)・曇

昨日の今日なので、静かに過ごした。
今のところ、変化なし。

夕食の飯が硬く、食べづらく、
後でパンと牛乳を食べた。

朝、ヨーグルト、納豆、飯、昆布、たらこ。
昼、もち、あん、チーズ、はっさく、ゼリー。
夜、いちご大福、せんべい、飯(少々)、ぶり、パン、牛乳。

2009年2月7日土曜日

2008年2月20日(水)・曇

4回目の点滴の日。

朝、9:00病院着。
採血、採尿、レントゲン、エコー、胃カメラの諸検査。
問題の胃カメラは、覚悟していたので、何とかスムーズに受けられた。

結果は、このまま治療を続けることになって、喜んでいる。
子どもたちも安心してくれたようだ。
出血は止まり、胃の赤かったところが黒っぽく見えた。
貧血もなく、むしろ今までにないほどだ。

点滴であまり副作用が出ないことを祈る。

3時ごろまでかかり、食事が乱れた。

2008年2月19日(火)・雪

一歩も外に出ず、夜までだれも来ず。
静かに、明日の病院行きに備えて暮らす。
外は雪がちらついている。

夕食にぶり大根、こぶ煮、わかめの酢の物を作る。
18:30、まだ誰も帰宅せず。

今日は、(姉の娘)が歯科に行く日。

朝、パン、オムレツ、牛乳、ヨーグルト、りんご。
昼、もち、チーズ、納豆、みかん。
夜、ぶり大根。

一日中、一人が何日も続くとことは大変だ。

2008年2月18日(月)・雲

午前中、一人で過ごす。

午後、(母の友人)宅へ出かけるよう電話したら、
彼女が来てくれてうれしかった。
少し休んでから、(テーマパーク)の洋ラン展を見に出かけた。
思ったより気分が良く、らんもきれいだった。

夕方、事務所に行き、帰りに(スーパー)に寄った。
ぶり大根用の食材を買う。

かねてから用意していたお見舞いのお返しを
(母の友人)に渡せて良かった。

(母の友人)が(サークル)のプリントを持ってきてくれた。

朝、ヨーグルト、パン、卵、牛乳、サラダ。
昼、やきうどん。
夜、水炊き、飯、ヨーグルト。

2008年2月17日(日)・晴

午後、(母の友人)のところへ訪問する。
久しぶりに少しおしゃべり。
人は皆、いろいろと悩みありだと感じ、
また前向きが大切と話して帰宅。
篤姫を見る。

朝、もち、サラダ、飯、汁、ヨーグルト。
昼、パン、卵、ヨーグルト。
夜、オックステールスープ、飯、魚、ヨーグルト。

2008年2月16日(土)・雪

午前中、一歩も外に出ず。
午後、事務所へ。
(姉)の買い物をあずかり、里芋の煮物を作る。

朝、パン、牛乳、ヨーグルト。
昼、焼うどん。
夜、里芋やレンコン等の煮物、ほっけ、ヨーグルト

2008年2月15日(金):雪

雪と寒波で、とじこめられた一日。

2008年2月14日(木)・曇雪

寒く、雪模様。
ソファーに頭をつけて、テレビ。
あまり喜ばしいスタイルではない。

朝、ヨーグルト、飯、さば味噌煮、切り昆布、味噌汁。
昼、もち、みかん、チーズ、納豆。
夜。

食事そこそこで動かず、80歳のすることみたい。
何か料理するべし。

2008年2月13日(水)・曇

寒い朝、いつも通りに起床したが、
昨日の停電でストーブのタイマーがくるって寒かった。

朝、飯、イワシ、切り昆布、アスパラ菜、ヨーグルト。
昼、もち、うどん、卵、肉、みかん。
夜、パスタ、ミートソース、ヨーグルト、バナナ。

(母の友人)にTEL。
友はよし。
同年代の判断。
話があう。

2008年2月12日(火)・曇

朝食後、停電。

午前中、事務所へ。

昼、(母の友人)と(レストラン)でゆっくり食事。

その前、昼休みに(母の友人)を訪ねて(昔の勤め先)へ。
お見舞いのおかえしをとどけ、ヨガのメニューをメモってもらう約束をする。

午後、パソコンゲーム。入浴。
この冬一番の寒さ。外が吹雪。

朝、パン、ヨーグルト、牛乳、サラダ。
昼、ドリア、ケーキ、サラダ、コーヒー、外食。
夜、ビーフシチュー、飯、切り昆布。

2009年2月5日木曜日

【私から見た母】抗がん剤治療開始

腹水が少し出ていた母は、
「奏効率が50%で、腹水があると効きにくい」というセカンド・オピニオンを聞いて、
怖がっているようだった。
主治医からも、「TS1+タキソテール」が体に合わない、または効果が見られない場合は、
副作用が少しきつい抗がん剤での治療になることから、
外来ではなく入院することになるとも説明を受けていたからだと思う。
後々で知ったことだけれど、タキサン系の抗がん剤は腹腔内にとどまりやすく、
腹膜転移に効果が出やすい抗がん剤らしい。

母は、医師から
①1カ月待ちでガンセンターでの抗がん剤治療を受けるか
②ガンセンターの処方箋で、同じ治療を地元の病院でうけるか
という選択肢を与えられた。
母は母自身の弟を胃がんで亡くしているので、
「もしも私が同じような状況になったら、ホスピスにすぐに行きたい」
と言っていた。
だから、
③ホスピスに行く
という選択肢もあったけれど、
母からは「まだあきらめたくない、生きたい」という様子が見えたので、
医師や家族から母に対して③の選択肢は提示しなかった。

母は姉と相談して②を選択した。
ガンセンターのメリットとして
①より専門的な治療が受けられる
②完全看護
があったけど、
①実家からガンセンターは遠いため、家族も支援しにくい
②ガンセンターは全県からガン患者が集まってくるため、長く病院にいられず、結局、別な病院に出される
③同じ処方箋で、地元の病院ですぐに治療を開始できる
と考え、判断をしたという。

私は、母への最初の告知を一緒に聞いただけで、
母の状態を医師から説明を受けることはなかった。
だから、その時はまだ「手術が可能」だと思っていた。
「胃の外側まで広がっている」との母の表現は、「腹膜播種」を意味していたが、
単に胃壁の外側に広がっていて、他の臓器への転移はないと私は捉えていた。
でも、いったん自宅に戻り、近くの本屋さんでガンの本を買って調べると、
腹膜炎を起こした場合は、ガン細胞が腹膜に飛んでいて、多くの場合腹膜播種であることがわかった。
そして、腹膜播種ということは、手術は不可であり、5年生存率もかなり低いこともわかった。
その事実に気づいたとき、ものすごい恐怖が襲ってきた。
これから、どのように母に接していいのか、向き合ったらいいのかがわからなかった。

私がその時考えて出した結論は、
「母がどれくらい生きるかどうかは問題ではない。
母が自分の人生に納得し、幸せだと感じれるように、そして苦しまないようにサポートしよう。」
ということだった。
そして、母には真正面から向き合おうと思った。
なぜなら、一度逃げたら、さらに怖くなって、もっと逃げたくなると思ったから。

母は救急外来で入院した直後から、
腹膜炎を抑えるために抗生物質の点滴を受けていた。
それと同時に、腫瘍から出血して貧血になっていたから、鉄分の点滴も受けた。
減少したヘモグロビンで酸素を運ぶため、
心拍数も常時100を超える状態で、心電図もつけられていた。
でも、数日間で腹膜炎の症状は治まり、
お粥から食事も再開して、鉄分の点滴をうけながら、抗がん剤治療の開始を待つことになった。

1週間以上便通がなかったので、
医師が「腸閉塞を起こすと悪い」といって下剤を処方した。
これが大変だった。もう垂れ流しの状態で、オムツのお世話になった。
母は「下の世話までさせるようになった」としょぼくれていたけれど、
姉と私は「自分で処理できるんだから、自分ですればいいじゃん」と言ったら、
自尊心も戻ったらしく、以外に開き直ってオムツをしていた。

下剤の効果も通り過ぎたころ、無事抗がん剤治療が開始されることになった。
まずは、タキソテールだけの治療を開始した。
タキソテールを初めて点滴したとき、家族全員が緊張した。
母の手を姉と私で握りながら、点滴が終了するのを待った。
でも、タキソテールを溶かすためのアルコールで顔をあからめただけで、特に副作用もなかった。
次の日にはもう退院となり、外来での抗がん剤治療がスタートした。

姉と私は、「奏効率50%」のその50%に母が該当することを祈った。