2009年3月22日日曜日

【私から見た母】ちゃんと検診していれば・・・

胃がんが発覚してから、母はよく
「ちゃんと検診していれば良かった」
と言っていた。

母は退職するまで、
約10年前に職場の検診で見つかった家族性ポリープ(良性)の経過観察もあり、
毎年必ず、胃カメラを飲んでいた。
でも、退職してからの数年間、胃カメラ検査をせず、簡単な検診で済ませていた。
その矢先に末期状態の胃がんが見つかったのだ。

母と家族とでそんな話を何度となくしたが、いたる結論はいつも
①過去のことを後悔しても、どうしようもない
②検診していたとしも、うまく見つかっていたとは限らない
③見つかってよかったんだ。でなければ、さらに悪化していた
というものだった。


私たち家族も、過去を振り返って、あの時気づいていればという回想をよくした。
①夏に母の体重が減った
②夏に登山したとき、「来年からは無理かも」と母がもらした
③夏に「お腹がぐにょぐにょする」と、母が訴えていた
といった様々な母の異変に、
無理やりにでも病院に連れて行けばよかったのではと。
その一方で、
夏に病院で検診したとして、結局、同じ病状だったのではないか、
または、手術はしてみたけれど同じ状態になったのではないか、
という話もした。


3月のある日、母と電話で話をした時、母はこう言った。
「過去を振り返ってもしょうがない。現実がかわるわけではない。
でも、将来について考えても、どうなるかわからない。
結局は、その時、その時を一生懸命に生きるしかないんだ。」
そう言いつつも、やっぱり後悔の念は消えてくれないものだった。

2008年3月20日(木)・晴

午前中、安静にしている。
お彼岸で、(親戚)へは夫と(姉)、(姉の娘)で行ってもらった。

午後、気分が良かったので、(母の実家のお寺)にお彼岸のお参りに行った。
観光地としてお寺が話題になって、活発に動きがあるようだ。
喜ばしいことだ。
弟や父、母が生きていたら、どのように思っただろう。
できるだけ協力してやりたいものだ。
懐かしく、ついおしゃべりをして気分の良い日だった。
自分の命がある限り、(母の実家)については、心を配っていきたい。

2008年3月19日(水)・晴

予定通り病院。
やはり心配で、昨日はよく眠れなかったが、
CTの結果、今まで通り治療を続けることになり、大変うれしかった。
抜け毛も気にしないことにしようと思った。
子ども達も喜んでくれた。
点滴に時間がかかり、2時過ぎになった。
次回は何か食べるものも持ち込んだ方が良いようだ。

3時30分、約束していた東芝の人から冷蔵庫を修理してもらう。

副作用が出ないように、静かに安静にしていた。

早速、(母の友人たち)にTELして、4月25・26日に花見の旅に出るこになった。

2008年3月18日(火)・晴

午前中、(母の友人)宅に遊びに出かける。
お土産にランを一鉢。
しばらくお茶でおしゃべり。
その後、公園まで雪割草のプランターを取りに行く。

去年の苗も育って、庭で花開く予定。
昨日の展望台周辺の散策に比べ、さらに雪割草が咲いていたようだ。

午後、(母の友人)と(地元の山)登山。
どうかなと思っていたが、楽に登れてうれしかった。
山頂にも雪割草があった。

2008年3月17日(月)・晴

確定申告も無事に終わり、皆さんさわやか。

(姉の娘)の具合が悪く、(幼稚園)をお休み。

午後、夕方、(地元の公園)の散策。
残雪がきれいで気分良し。
雪割草が少々咲いていた。

冷蔵庫がおかしく、電気屋さんにTEL。

晴天だったので、庭のゴミを袋に詰め、
明日のゴミ出しに備えた。

2008年3月16日(日)・晴

夫の車を新しくする話が持ち上がり、
車の見学にトヨタのあちこちに出かける。
今買えば、しばらく乗ることになる。
慎重に選ばなくては。

その後、(デパート)に行って、事務所で配るお菓子を買う。
昼に冷やしそばをデパートの食堂で食べるつもりであったが、
胃が受け付けず、食べられなかったり、もどしたりでショック。
帰りはパンをかじりながら帰宅。
やっぱり病人なんだと再確認。

夕食は(姉)のステーキ、ベークドポテト。

2008年3月15日(土)・曇

忙しさの最盛期。
夫と(姉)は、相変わらず事務所へ。

(姉の娘)は(幼稚園)。
(姉の旦那)も仕事。

夕食は(飲み屋)のあげものを主に。

2008年3月14日(金)・曇

午前中、美容院へ。
いつも人が少ないのに、今日は大勢でにぎやかだった。

顔のマッサージ、シェービングもして、気分良し。

帰りに読書メガネを受取に行く。
(メガネ屋さん)の奥さんにも会えて、少しおしゃべりして来た。

(兄の奥さん)の転勤先も決まり、ひと安心。
あと、事務所の仕事ももう一息。
(私)の発表も無事に終わり、喜ばし。

帰りに本を求める。

夕食はパスタ。

2008年3月13日(木)・晴

9:30発で(母の友人)宅へ。
ひと冬合わなかったので、久しぶりの話に花が咲く。
(出先のレストラン)で食事。
帰り、(母の友人)宅でさんしゅうの枝、すいせんの花を分けてもらい、帰宅。

夕食はパスタ。

2008年3月12日(水)・晴曇

午前中、事務所。
昼、家で鍋焼きうどんを作って食べる。

タイヤの交換、洗車など、春の準備。
玄関の水撒き清掃。
(姉の旦那)もガラスを磨いてくれた。

春らしい日。

(母の友人)からお手紙あり。

夜、(姉の旦那)のミートソース。


明日のお土産用に、(地元)のいちごを求める。
植木鉢も買う。
(兄の息子)にもいちごをひと箱あげる。

2008年3月11日(火)・晴

黄砂がひどりと感じる日。

(母の友人)と野鳥観察、散策。気分良し。
昼、(地元レストラン)へ。
今日は人が多く、にぎやか。
うどん、ケーキセットを楽しむ。
家の鍵を忘れるアクシデントあり。

夕食は刺身、小松菜のからし和え、大根汁。
おいしく食べた。

今のところ、体重は増加しつつあり、元気。

(母の友人)よりTELあり。
13日の木曜日に(母の友人)宅に集合することになった。

春が来てうれしい。

(私)よりメール、TELあり。

2008年3月10日(月)・曇

少しは春らしくと、セーターから薄手のインナーに。

朝、ヨーグルト、牛乳、飯、汁、野菜いため、小魚。
昼、パン、スープ、ヨーグルト、みかん。
夜、カレー、サラダ、わかめの酢の物。

2008年3月9日(日)・晴

晴天で気分晴れやか。

(母の友人)のお誘いで、(催し物)を見に行く。
お昼のパスタも気分良くおいしかった。
(地元の山)の残雪が西陽に光るのを見に出かけた。

夕食はオージー・ビーフのステーキ。
おいしかった。

2008年3月8日(土)・曇

皆さん、お出かけ。

脳トレ、その他で過ごす。

2008年3月7日(金)・曇

午前中、事務所へ。

昼ぬきで、CTを撮る。
2時頃終了。

家に帰って、パクパク。

いつも体のことが気になるが、だんだん慣れてくるようだ。

2008年3月6日(木)

「脳トレ(任天堂DS)」で半日。
パズルもした。

2009年3月2日月曜日

【私から見た母】母とのコミュニケーション

私は、母が胃がんを患っていることが分かってから、
携帯メールと電話を日課にした。

その理由は、
①病状が悪化してから連絡を多くとるのも不自然だ
②実家の家族が日中働きにでているので、少しでも病気以外のことを考える時間を持ってほしい
③話す相手が多いほど、病気を患っているというストレスが軽減されるらしい
という3つ。

毎朝、通勤電車から、その日の日程や出会った景色の写真をメールで送り、
仕事帰りに電話をして、その日の報告をするという、
普通のコミュニケーション。

母から聞くことと言えば、
①うまく食べられない、多く食べられない、体重が増えない
②食後の不快感・胸やけ
③抗がん剤の副作用による抜け毛
④病気がわるくなっているのではないかという不安
⑤今日したこと
と、いつも同じ内容だった。

仕事帰りに電話すると決まって母は、「そんなに心配しなくていいよ」と言っていた。
でも姉から聞くには、夜になると電話の前で待っていたそうだ。

そして、調度、朝の通勤時のメールを送る時間帯が、
時間を掛けなければ食べられない朝食の途中で、
ちょっと一休みするのに良かったらしい。
帰宅時の電話も、夕食の途中に、ちょっと一休みするのによかったようだ。

「がんばれ」とは母には言わないようにし、
「ストレスがたまると免疫力が下がるから、不安とか気になることがあったらしゃべった方が良い」
と、話を聞くようにしていた。
本当に、それができていたかはわからないけど、
電話やメールであれこれ言っていたわりには、母の日記は前向きに感じる。

母との電話はたわいもないものが多かったけれど、
よくよく話をすると、「生きるとはどういうことか」というような内容のこともあった。
結構、骨が折れた。