2009年5月17日日曜日

【私から見た母】治療を開始してから約3ケ月間

母の抗がん剤治療は「TS1+タキソテール」で、1クールが4週間。
第1週目の初日にタキソテールの点滴を受け、14日間分のTS1が処方される。
第3週目に病院で、問診。
第3週目と第4週目は休薬期間。

タキソテールの点滴は、少し体が火照るような感じだったらしい。
お酒に弱い母は、アルコールに溶かされた抗がん剤の点滴で、少し酔っていたのだろう。
確か、TS1は朝と夕方の食後に飲んでいた。
タキソテールを受けたときの医療費は、数万円単位だったそうだ。

母の場合は、口内炎はできなかった。
しかし、口角炎ができた時期もあり、塗り薬を処方されたこともあった。

各クールの第4日目から6日目あたりに、お腹が緩くなっていたようだ。
トイレに間に合わないようなことも、あったらしい。

下痢があるときは、吐き気もひどかったように思う。
特に、何かを吐くわけでもなかったが、
においに敏感になっていて、ご飯やおでんのにおいなどにムカツキを覚えていた。
一番吐き気がひどかったのが、母が日記をつけ始めた直前。
あの時は脱水症状もあったようで、病院の外来に行って、点滴を受けた。

第3週目に入ると、抜け毛が目立つようになる。
不思議なことに第4週目にはいると、抜け毛の数が減っている。
といっても、治療を継続していくうちに、髪の毛は薄くなったが、
かといって、地肌が見えるまでも行かず、65歳ならあり得る薄さだったので、
私たち家族はあまり気にはならなかった。
しかし、母はかなり気にしていたようで、
「おしゃれな女性は、いろいろなウィッグを楽しんでいるのだから、
お母さんもおしゃれだと思えばいいよ。慣れてきたら、いろいろ買ってみれば。」
なんて励ましたりもした。
ほとんど使用しなかったが、部分カツラとその後に、全カツラも買った。
母の弱音を聞いた父が
「俺の頭を見てみろ!おまえのは、薄くなったって言わないんだ!」
と逆切れのような、励ましのようなことを言って、爆笑したのを覚えている。

胃がんが発覚する直前では、
母はお茶やコーヒーも飲まず、常に白湯を口にしており、
タンパク質系の食べ物も避けていたようだった。
でも、抗がん剤治療を開始してから、
食べる種類が増加し、お茶やコーヒーも飲むようになった。
いきなり食事を開始すると、
だいたいと言っていいほど、透明な溶けたゼリーのようなものを吐いていた。
病院で吐いたものを見せたら、「唾液ですね」と言われた。
吐き気がもたらしたことだったんだろう。
しかし、食事開始前に、冷静スープやヨーグルトなど、「ドロ」っとしたものを先に口にすると、
吐くこともなく、スムーズに食事ができた。
母は「食べられない」とよくこぼしていたが、
少し高めのコースランチなんかを食べに行ったりもしていた。
おかげで、体重も少しずつ増えていたようだ。
眠る前に、カステラと牛乳を食べ、できるだけカロリーをとろうとした努力のせいもあったかも知れない。

2月末からは体調も良く、
ヨガ教室にも通い始めたし、ハイキングに行っても、ひょいひょいと歩いていた。
しかし、3ヶ月検診でのレントゲンの結果では、
「消え方が少ない」
と医師から説明を受け、
「死ぬんだ」と、かなり精神的に不安定だった。
しかし、その後に受けた精密検査の結果では、
リンパ節の腫れが半分ぐらいになっていたらしく、抗がん剤は奏功しているという結果となった。
精密検査の結果の説明を受ける前日に、母から妙に興奮した電話がかかってきたのを覚えている。
「こんなに体の調子が良くなっているのに、効いていないなんておかしい」と。
本当に不安だったんだろう。

3ヶ月検診を受けたころの母の調子は本当によく、
「このまま胃がんでもいいよ」と感じれるぐらいだった。
抗がん剤治療の周期と体の調子の関係がなんとなくわかってきたし、
奏功しているとの結果を受けて、母もお出かけや旅行等の計画を立て始めた。
私も、夏ぐらいに胃がんの手術ができるかもしれないと、勝手な期待を持っていた。

2009年3月22日日曜日

【私から見た母】ちゃんと検診していれば・・・

胃がんが発覚してから、母はよく
「ちゃんと検診していれば良かった」
と言っていた。

母は退職するまで、
約10年前に職場の検診で見つかった家族性ポリープ(良性)の経過観察もあり、
毎年必ず、胃カメラを飲んでいた。
でも、退職してからの数年間、胃カメラ検査をせず、簡単な検診で済ませていた。
その矢先に末期状態の胃がんが見つかったのだ。

母と家族とでそんな話を何度となくしたが、いたる結論はいつも
①過去のことを後悔しても、どうしようもない
②検診していたとしも、うまく見つかっていたとは限らない
③見つかってよかったんだ。でなければ、さらに悪化していた
というものだった。


私たち家族も、過去を振り返って、あの時気づいていればという回想をよくした。
①夏に母の体重が減った
②夏に登山したとき、「来年からは無理かも」と母がもらした
③夏に「お腹がぐにょぐにょする」と、母が訴えていた
といった様々な母の異変に、
無理やりにでも病院に連れて行けばよかったのではと。
その一方で、
夏に病院で検診したとして、結局、同じ病状だったのではないか、
または、手術はしてみたけれど同じ状態になったのではないか、
という話もした。


3月のある日、母と電話で話をした時、母はこう言った。
「過去を振り返ってもしょうがない。現実がかわるわけではない。
でも、将来について考えても、どうなるかわからない。
結局は、その時、その時を一生懸命に生きるしかないんだ。」
そう言いつつも、やっぱり後悔の念は消えてくれないものだった。

2008年3月20日(木)・晴

午前中、安静にしている。
お彼岸で、(親戚)へは夫と(姉)、(姉の娘)で行ってもらった。

午後、気分が良かったので、(母の実家のお寺)にお彼岸のお参りに行った。
観光地としてお寺が話題になって、活発に動きがあるようだ。
喜ばしいことだ。
弟や父、母が生きていたら、どのように思っただろう。
できるだけ協力してやりたいものだ。
懐かしく、ついおしゃべりをして気分の良い日だった。
自分の命がある限り、(母の実家)については、心を配っていきたい。

2008年3月19日(水)・晴

予定通り病院。
やはり心配で、昨日はよく眠れなかったが、
CTの結果、今まで通り治療を続けることになり、大変うれしかった。
抜け毛も気にしないことにしようと思った。
子ども達も喜んでくれた。
点滴に時間がかかり、2時過ぎになった。
次回は何か食べるものも持ち込んだ方が良いようだ。

3時30分、約束していた東芝の人から冷蔵庫を修理してもらう。

副作用が出ないように、静かに安静にしていた。

早速、(母の友人たち)にTELして、4月25・26日に花見の旅に出るこになった。

2008年3月18日(火)・晴

午前中、(母の友人)宅に遊びに出かける。
お土産にランを一鉢。
しばらくお茶でおしゃべり。
その後、公園まで雪割草のプランターを取りに行く。

去年の苗も育って、庭で花開く予定。
昨日の展望台周辺の散策に比べ、さらに雪割草が咲いていたようだ。

午後、(母の友人)と(地元の山)登山。
どうかなと思っていたが、楽に登れてうれしかった。
山頂にも雪割草があった。

2008年3月17日(月)・晴

確定申告も無事に終わり、皆さんさわやか。

(姉の娘)の具合が悪く、(幼稚園)をお休み。

午後、夕方、(地元の公園)の散策。
残雪がきれいで気分良し。
雪割草が少々咲いていた。

冷蔵庫がおかしく、電気屋さんにTEL。

晴天だったので、庭のゴミを袋に詰め、
明日のゴミ出しに備えた。

2008年3月16日(日)・晴

夫の車を新しくする話が持ち上がり、
車の見学にトヨタのあちこちに出かける。
今買えば、しばらく乗ることになる。
慎重に選ばなくては。

その後、(デパート)に行って、事務所で配るお菓子を買う。
昼に冷やしそばをデパートの食堂で食べるつもりであったが、
胃が受け付けず、食べられなかったり、もどしたりでショック。
帰りはパンをかじりながら帰宅。
やっぱり病人なんだと再確認。

夕食は(姉)のステーキ、ベークドポテト。

2008年3月15日(土)・曇

忙しさの最盛期。
夫と(姉)は、相変わらず事務所へ。

(姉の娘)は(幼稚園)。
(姉の旦那)も仕事。

夕食は(飲み屋)のあげものを主に。

2008年3月14日(金)・曇

午前中、美容院へ。
いつも人が少ないのに、今日は大勢でにぎやかだった。

顔のマッサージ、シェービングもして、気分良し。

帰りに読書メガネを受取に行く。
(メガネ屋さん)の奥さんにも会えて、少しおしゃべりして来た。

(兄の奥さん)の転勤先も決まり、ひと安心。
あと、事務所の仕事ももう一息。
(私)の発表も無事に終わり、喜ばし。

帰りに本を求める。

夕食はパスタ。

2008年3月13日(木)・晴

9:30発で(母の友人)宅へ。
ひと冬合わなかったので、久しぶりの話に花が咲く。
(出先のレストラン)で食事。
帰り、(母の友人)宅でさんしゅうの枝、すいせんの花を分けてもらい、帰宅。

夕食はパスタ。

2008年3月12日(水)・晴曇

午前中、事務所。
昼、家で鍋焼きうどんを作って食べる。

タイヤの交換、洗車など、春の準備。
玄関の水撒き清掃。
(姉の旦那)もガラスを磨いてくれた。

春らしい日。

(母の友人)からお手紙あり。

夜、(姉の旦那)のミートソース。


明日のお土産用に、(地元)のいちごを求める。
植木鉢も買う。
(兄の息子)にもいちごをひと箱あげる。

2008年3月11日(火)・晴

黄砂がひどりと感じる日。

(母の友人)と野鳥観察、散策。気分良し。
昼、(地元レストラン)へ。
今日は人が多く、にぎやか。
うどん、ケーキセットを楽しむ。
家の鍵を忘れるアクシデントあり。

夕食は刺身、小松菜のからし和え、大根汁。
おいしく食べた。

今のところ、体重は増加しつつあり、元気。

(母の友人)よりTELあり。
13日の木曜日に(母の友人)宅に集合することになった。

春が来てうれしい。

(私)よりメール、TELあり。

2008年3月10日(月)・曇

少しは春らしくと、セーターから薄手のインナーに。

朝、ヨーグルト、牛乳、飯、汁、野菜いため、小魚。
昼、パン、スープ、ヨーグルト、みかん。
夜、カレー、サラダ、わかめの酢の物。

2008年3月9日(日)・晴

晴天で気分晴れやか。

(母の友人)のお誘いで、(催し物)を見に行く。
お昼のパスタも気分良くおいしかった。
(地元の山)の残雪が西陽に光るのを見に出かけた。

夕食はオージー・ビーフのステーキ。
おいしかった。

2008年3月8日(土)・曇

皆さん、お出かけ。

脳トレ、その他で過ごす。

2008年3月7日(金)・曇

午前中、事務所へ。

昼ぬきで、CTを撮る。
2時頃終了。

家に帰って、パクパク。

いつも体のことが気になるが、だんだん慣れてくるようだ。

2008年3月6日(木)

「脳トレ(任天堂DS)」で半日。
パズルもした。

2009年3月2日月曜日

【私から見た母】母とのコミュニケーション

私は、母が胃がんを患っていることが分かってから、
携帯メールと電話を日課にした。

その理由は、
①病状が悪化してから連絡を多くとるのも不自然だ
②実家の家族が日中働きにでているので、少しでも病気以外のことを考える時間を持ってほしい
③話す相手が多いほど、病気を患っているというストレスが軽減されるらしい
という3つ。

毎朝、通勤電車から、その日の日程や出会った景色の写真をメールで送り、
仕事帰りに電話をして、その日の報告をするという、
普通のコミュニケーション。

母から聞くことと言えば、
①うまく食べられない、多く食べられない、体重が増えない
②食後の不快感・胸やけ
③抗がん剤の副作用による抜け毛
④病気がわるくなっているのではないかという不安
⑤今日したこと
と、いつも同じ内容だった。

仕事帰りに電話すると決まって母は、「そんなに心配しなくていいよ」と言っていた。
でも姉から聞くには、夜になると電話の前で待っていたそうだ。

そして、調度、朝の通勤時のメールを送る時間帯が、
時間を掛けなければ食べられない朝食の途中で、
ちょっと一休みするのに良かったらしい。
帰宅時の電話も、夕食の途中に、ちょっと一休みするのによかったようだ。

「がんばれ」とは母には言わないようにし、
「ストレスがたまると免疫力が下がるから、不安とか気になることがあったらしゃべった方が良い」
と、話を聞くようにしていた。
本当に、それができていたかはわからないけど、
電話やメールであれこれ言っていたわりには、母の日記は前向きに感じる。

母との電話はたわいもないものが多かったけれど、
よくよく話をすると、「生きるとはどういうことか」というような内容のこともあった。
結構、骨が折れた。

2009年2月28日土曜日

2008年3月5日(水)

朝から病院。いつもの通り。

この間のカメラの結果、消え方、小さくなり方が少ないように言われて、気になる。
自分としては良くなっているように思われるのに。
明後日、CTを撮るとさらにわかるものと思われる。

現実は認めて、またガンセンターなりに出かけること、
入院して新薬を試すのも仕方がないと思う。

でも、私の場合は、
ガンセンターに聞きながら、消えるように治療するらしいことがわかってきた。

2008年3月4日(火)・曇

午前中、事務所。

昼、(母の友人達)と3人で博物館のレストランへ。
ひな祭りランチを楽しんだ。
12時、総合会館集合。
地鶏ワイン煮、ワカサギのマリネ、オムレツ、蟹パスタ、
長いもフリッター、パン、サラダ、デザート、コーヒー。

(母の友人)よりTEL。

皆と同じに楽しく食べられ、今更ながら幸せを思う。

明日は病院。
良い結果でありますように。

2008年3月3日(月)

(母の友人)と(レストラン)でランチ。
残雪の庭を見ながら楽しむ。
カレイの煮物、湯葉、切干大根煮、そば、野菜のてんぷら。
幸せな時間。ウィンナーコーヒー。

2008年3月2日(日)・晴

雪が消えて、春らしくなってきた。
庭の草花のことが気になる。
春の楽しみ!

2008年3月1日(土)・曇

午前中、事務所。

昼、夫と(レストラン)でチャーハンを食べる。

その後、(母の友人)が家に遊びに来る。
ヨガの順序プリントを作ってもらう。
夜、少しやってみる。

(姉)一家は、(温泉)に一泊。

2008年2月29日(金)・曇晴

11時待ち合わせで美術館。
写真展、県立公園の散歩、(レストラン)での食事を(母の友人)と楽しむ。
帰りに、春の花、フリージア、サクラ草など求めて、家に飾る。

気分の良い日。

2008年2月28日(木)・曇

昨日、眠れなかったので、午前中ぐったり、のんびり。

2008年2月27日(火)・曇

午前中から事務所。

昼、(姉)と3人で久しぶりに(レストラン)へ。
ハンバーグランチを食べる。
全部は無理だったが、かなり食べた。
気分良し。

夕食は(姉の旦那)のミートソース・パスタ。
夫、明日の葬儀のため、夕方東京へ。
(地元の駅)まで送っていく。
病院から出られて、車の運転ができる幸せを感じる。

(姉)、(私)、(兄)の生活をとやかく言えないが、気がかりも多い。
二人が(私たち夫婦)に香典ときいて、心がなごむ。

2008年2月26日(火)・曇

午前中、事務所。

昼、(スーパー)のお弁当。
夕食にポテトオムレツを作って食べた。

体重はあまり増加しないが、まあ元気。

午後、夕方、一人ゆっくり入浴。
髪が抜けて少なくなったようだ。
しかたがない。

2008年2月25日(月)・曇 【父命日】

午前中、事務所。

昼、(母の友人)とドライブで(観光名所)へ。
ピザ、デザート(シャーベット)、コーヒーを楽しんだ。
帰り、家でお話。
気分の晴れる日。
お土産に、いちご、里芋のおすそわけをする。

2009年2月15日日曜日

2008年2月24日(日)・雪

冬に戻り、一日中、雪、吹雪。
一歩も外に出ず。
さすがに運動不足が気になる。

(姉の娘)の発表会。
私以外はみな、出かける。
ビデオに撮ったものを見せてもらう。
去年より大きくなっている。

あまり動かないので、トイレ掃除をする。

(私の旦那)のお父さんが「くも膜下出血」で亡くなられた。
急な話でびっくり。
葬儀には、夫に行ってもらう。

いつ何が起こるか解らない。
静かで何事もないのが一番。

昨日の段階では考えられないことだ。

朝、ごはん、卵、ヨーグルト。
昼、やきそば。
夜、ヨーグルト、焼き肉。

2008年2月23日(土)・曇

午前中、(兄の奥さんのご両親)夫妻が、たくさんいちごを持ってきてくださる。
久しぶりに話をして、楽しく、うれしかった。

外出を控えて、静かに過ごす。

(私)より電話。
昨日は楽しかったようだ。
二人でジャズを見ながら、ディナー。
若者らしい。

朝、ごはん、焼き魚。
昼、餅、チーズ、みかん。
夜、焼きそば、ヨーグルト。

2008年2月22日(金)・晴曇

午前中、静かに過ごす。
午後、事務所。

暖かく、春らしくなって来た。
庭の草花の芽が膨らむのが楽しみ。

昼、鍋焼きうどんを作りながら、夕食の雑煮を作る。
夕方、ポテトサラダを作り、夕食にした。

入浴、洗髪で気分良し。
まだ、食欲が本調子ではない。

朝、ヨーグルト、飯、魚、みかん、カボチャの煮物。
昼、鍋焼きうどん(うどん、ねぎ、卵)
夕、煮魚、サラダ、飯、たくわん

2008年2月21日(木)・曇

昨日の今日なので、静かに過ごした。
今のところ、変化なし。

夕食の飯が硬く、食べづらく、
後でパンと牛乳を食べた。

朝、ヨーグルト、納豆、飯、昆布、たらこ。
昼、もち、あん、チーズ、はっさく、ゼリー。
夜、いちご大福、せんべい、飯(少々)、ぶり、パン、牛乳。

2009年2月7日土曜日

2008年2月20日(水)・曇

4回目の点滴の日。

朝、9:00病院着。
採血、採尿、レントゲン、エコー、胃カメラの諸検査。
問題の胃カメラは、覚悟していたので、何とかスムーズに受けられた。

結果は、このまま治療を続けることになって、喜んでいる。
子どもたちも安心してくれたようだ。
出血は止まり、胃の赤かったところが黒っぽく見えた。
貧血もなく、むしろ今までにないほどだ。

点滴であまり副作用が出ないことを祈る。

3時ごろまでかかり、食事が乱れた。

2008年2月19日(火)・雪

一歩も外に出ず、夜までだれも来ず。
静かに、明日の病院行きに備えて暮らす。
外は雪がちらついている。

夕食にぶり大根、こぶ煮、わかめの酢の物を作る。
18:30、まだ誰も帰宅せず。

今日は、(姉の娘)が歯科に行く日。

朝、パン、オムレツ、牛乳、ヨーグルト、りんご。
昼、もち、チーズ、納豆、みかん。
夜、ぶり大根。

一日中、一人が何日も続くとことは大変だ。

2008年2月18日(月)・雲

午前中、一人で過ごす。

午後、(母の友人)宅へ出かけるよう電話したら、
彼女が来てくれてうれしかった。
少し休んでから、(テーマパーク)の洋ラン展を見に出かけた。
思ったより気分が良く、らんもきれいだった。

夕方、事務所に行き、帰りに(スーパー)に寄った。
ぶり大根用の食材を買う。

かねてから用意していたお見舞いのお返しを
(母の友人)に渡せて良かった。

(母の友人)が(サークル)のプリントを持ってきてくれた。

朝、ヨーグルト、パン、卵、牛乳、サラダ。
昼、やきうどん。
夜、水炊き、飯、ヨーグルト。

2008年2月17日(日)・晴

午後、(母の友人)のところへ訪問する。
久しぶりに少しおしゃべり。
人は皆、いろいろと悩みありだと感じ、
また前向きが大切と話して帰宅。
篤姫を見る。

朝、もち、サラダ、飯、汁、ヨーグルト。
昼、パン、卵、ヨーグルト。
夜、オックステールスープ、飯、魚、ヨーグルト。

2008年2月16日(土)・雪

午前中、一歩も外に出ず。
午後、事務所へ。
(姉)の買い物をあずかり、里芋の煮物を作る。

朝、パン、牛乳、ヨーグルト。
昼、焼うどん。
夜、里芋やレンコン等の煮物、ほっけ、ヨーグルト

2008年2月15日(金):雪

雪と寒波で、とじこめられた一日。

2008年2月14日(木)・曇雪

寒く、雪模様。
ソファーに頭をつけて、テレビ。
あまり喜ばしいスタイルではない。

朝、ヨーグルト、飯、さば味噌煮、切り昆布、味噌汁。
昼、もち、みかん、チーズ、納豆。
夜。

食事そこそこで動かず、80歳のすることみたい。
何か料理するべし。

2008年2月13日(水)・曇

寒い朝、いつも通りに起床したが、
昨日の停電でストーブのタイマーがくるって寒かった。

朝、飯、イワシ、切り昆布、アスパラ菜、ヨーグルト。
昼、もち、うどん、卵、肉、みかん。
夜、パスタ、ミートソース、ヨーグルト、バナナ。

(母の友人)にTEL。
友はよし。
同年代の判断。
話があう。

2008年2月12日(火)・曇

朝食後、停電。

午前中、事務所へ。

昼、(母の友人)と(レストラン)でゆっくり食事。

その前、昼休みに(母の友人)を訪ねて(昔の勤め先)へ。
お見舞いのおかえしをとどけ、ヨガのメニューをメモってもらう約束をする。

午後、パソコンゲーム。入浴。
この冬一番の寒さ。外が吹雪。

朝、パン、ヨーグルト、牛乳、サラダ。
昼、ドリア、ケーキ、サラダ、コーヒー、外食。
夜、ビーフシチュー、飯、切り昆布。

2009年2月5日木曜日

【私から見た母】抗がん剤治療開始

腹水が少し出ていた母は、
「奏効率が50%で、腹水があると効きにくい」というセカンド・オピニオンを聞いて、
怖がっているようだった。
主治医からも、「TS1+タキソテール」が体に合わない、または効果が見られない場合は、
副作用が少しきつい抗がん剤での治療になることから、
外来ではなく入院することになるとも説明を受けていたからだと思う。
後々で知ったことだけれど、タキサン系の抗がん剤は腹腔内にとどまりやすく、
腹膜転移に効果が出やすい抗がん剤らしい。

母は、医師から
①1カ月待ちでガンセンターでの抗がん剤治療を受けるか
②ガンセンターの処方箋で、同じ治療を地元の病院でうけるか
という選択肢を与えられた。
母は母自身の弟を胃がんで亡くしているので、
「もしも私が同じような状況になったら、ホスピスにすぐに行きたい」
と言っていた。
だから、
③ホスピスに行く
という選択肢もあったけれど、
母からは「まだあきらめたくない、生きたい」という様子が見えたので、
医師や家族から母に対して③の選択肢は提示しなかった。

母は姉と相談して②を選択した。
ガンセンターのメリットとして
①より専門的な治療が受けられる
②完全看護
があったけど、
①実家からガンセンターは遠いため、家族も支援しにくい
②ガンセンターは全県からガン患者が集まってくるため、長く病院にいられず、結局、別な病院に出される
③同じ処方箋で、地元の病院ですぐに治療を開始できる
と考え、判断をしたという。

私は、母への最初の告知を一緒に聞いただけで、
母の状態を医師から説明を受けることはなかった。
だから、その時はまだ「手術が可能」だと思っていた。
「胃の外側まで広がっている」との母の表現は、「腹膜播種」を意味していたが、
単に胃壁の外側に広がっていて、他の臓器への転移はないと私は捉えていた。
でも、いったん自宅に戻り、近くの本屋さんでガンの本を買って調べると、
腹膜炎を起こした場合は、ガン細胞が腹膜に飛んでいて、多くの場合腹膜播種であることがわかった。
そして、腹膜播種ということは、手術は不可であり、5年生存率もかなり低いこともわかった。
その事実に気づいたとき、ものすごい恐怖が襲ってきた。
これから、どのように母に接していいのか、向き合ったらいいのかがわからなかった。

私がその時考えて出した結論は、
「母がどれくらい生きるかどうかは問題ではない。
母が自分の人生に納得し、幸せだと感じれるように、そして苦しまないようにサポートしよう。」
ということだった。
そして、母には真正面から向き合おうと思った。
なぜなら、一度逃げたら、さらに怖くなって、もっと逃げたくなると思ったから。

母は救急外来で入院した直後から、
腹膜炎を抑えるために抗生物質の点滴を受けていた。
それと同時に、腫瘍から出血して貧血になっていたから、鉄分の点滴も受けた。
減少したヘモグロビンで酸素を運ぶため、
心拍数も常時100を超える状態で、心電図もつけられていた。
でも、数日間で腹膜炎の症状は治まり、
お粥から食事も再開して、鉄分の点滴をうけながら、抗がん剤治療の開始を待つことになった。

1週間以上便通がなかったので、
医師が「腸閉塞を起こすと悪い」といって下剤を処方した。
これが大変だった。もう垂れ流しの状態で、オムツのお世話になった。
母は「下の世話までさせるようになった」としょぼくれていたけれど、
姉と私は「自分で処理できるんだから、自分ですればいいじゃん」と言ったら、
自尊心も戻ったらしく、以外に開き直ってオムツをしていた。

下剤の効果も通り過ぎたころ、無事抗がん剤治療が開始されることになった。
まずは、タキソテールだけの治療を開始した。
タキソテールを初めて点滴したとき、家族全員が緊張した。
母の手を姉と私で握りながら、点滴が終了するのを待った。
でも、タキソテールを溶かすためのアルコールで顔をあからめただけで、特に副作用もなかった。
次の日にはもう退院となり、外来での抗がん剤治療がスタートした。

姉と私は、「奏効率50%」のその50%に母が該当することを祈った。

2009年1月28日水曜日

2008年2月11日(月)・晴

久しぶりの(地方都市)。

昼食後、(私)と父と3人で(デパート)へ。
駐車場はいつものところが無理で、(別な駐車場)へ。
(母の友人たち)に、お見舞いのお返しの品を求める。
春物のジャケット、セーター、トレーナーを買う。帽子も求める。
夫は、ジャケット。

その後、(兄)のところへ。
(兄の息子)と遊ぶ。
(兄の息子)のケガが気がかり。

(私)を(兄)の所に残して帰宅。
帰りに、(スーパー)で刺身、漬物などを買い、夕食に。

朝、ヨーグルト、パン、みかん。
昼、うどん。
夜、刺身、飯、汁、サラダ、漬物、ヨーグルト。

2009年1月24日土曜日

【私から見た母】抗癌剤治療開始まで

母は、2007年10月ぐらいから、風邪気味だと言っていた。
だから、通っていたスイミングもお腹を冷やすからお休みしているという。
最近の風邪は治りにくいし、実際私もなかなか治らずにいた。
だから、特別心配はしていなかった。
それに、11月の頭には父や姉家族と一緒に、ディズニー・シーに遊びに来たから。

ディズニー・シーに母が遊びに来てから数日後、仕事の帰りに電話した。
「来週、胃カメラの予約をとったんだ。検査してくる。」と教えてくれた。
知り合いに医師の奥さんがいて、胃カメラ検査したら?という話になったらしい。
私も大したことないと思っていて、「検査して何もないこと、確認してきなよ。」と軽く答えていた。

それから数日後、めずらしく父から携帯に留守電が入っていた。
留守電の内容は聞いていなかったけれど、
ちょうど仕事もひど段落したところだったから、実家に久々に帰省しようと父に電話をかけた。
「お母さんが入院した。命にかかわるかも知れない。」
父からのびっくりな知らせだった。
前日に母に電話したときは、熱があると調子が悪そうだったけれど、
それは予兆で、結局、腹膜炎で母自ら救急外来に駆け込んだらしい。
その時の検査で、胃がんが見つかったという。
父は病院から呼び出しを受け、
「まだ詳しい検査結果はでていないけれど、経験上、胃がんで、
何もしなければ春を迎えることができないだろう。」
と医師から説明されたらしい。

私は次の日、始発の新幹線にのって、母の入院先へ向かった。
父の電話で困惑し、前の晩はほとんど眠れなかった。
確か母は、10年程前に良性ポリープが見つかった時から、毎年胃カメラ検査していたはずで、
そんな命にかかわるようなガンが突然みつかるものだろうか。
命にかかわるというのは、どういうことなのだろうか。
そんなこと考えながら、そして何か怖くて、落ち着かなかった。

病院に行ってみると、腹膜炎はほぼ治まって、ベットで横になっている母がいた。
まだ、抗生物質の点滴をしていた。
母はまだ病気の告知を受けていない。
私は素知らぬ顔で母に会いに行った。
「久々に休みが取れて帰ってきてみれば、お母さん、入院してるし。」

母は、腹膜炎がいかに苦しかったかを私に話してくれた。
そして、胃カメラ検査をしている映像をみたら、
胃に赤いぐじゅぐじゅした部分があったことも教えてくれた。
母の弟も、同じ胃がんで既に他界している。
母は、その最期を看取っている。
「お母さんのは、おじさん(母の弟)の映像と違ったから、大丈夫だ!」
「先生も、『胃カメラの映像だと、大きくみえるんですよ』って言っていた!」
と必至に私に訴えた。
母は、胃カメラの映像を見て、ヤバいと察したようだったけれど、
それが胃がんであるとは認めたくなかったのだと思う。

帰省して次の日、医師から告知してもらうことになった。
医師からも、
「本人に戦う意思があるのならば、告知した方が良い。
そしてセカンド・オピニオンを地元のガンセンターに聞きに行くと、
どの道、ズバッと言われてしまうから。」
と話されていたし、
母の弟が同じ病気ならば、到底、感づかずにいるなんて無理だと思った。
平日の昼に告知すると、
仕事があるはずの家族が全員病院にそろうのは、
明かに「大変な病気です」と言っているようなものだからと、
医師に頼んで、夕方過ぎに告知していただくことをお願いした。

夕方、仕事終わりに家族が母の病室に訪ねてきた。
そして軽くしゃべった後、医師がふらりとやってきた。
ナースステーションの奥の部屋に移動して、皆で医師の説明を聞いた。
「(母)さんは、胃がんです。」
その一言を言う医師の手が震え、緊張しているような気がした。
そして、
「詳しい検査の結果は出ていないが、おそらくこれから外来で抗癌剤治療になるでしょう。
TS1とタキソテールという抗がん剤で、個人差はありますが、副作用もあまりありません。
これから大変でしょうけれど、今は体力をつけて、手術にそなえましょう。」
と続けた。
母は終始、借りてきた猫のように、「はい。」「はい。」と必至に返事をしていた。
しっかり返事はしていたけれど、
結局、母はその日の説明をあまり覚えていなかった。
医師は、トイレに行く母を捕まえたりと、少しづつ検査の結果と現状を伝えてくれた。
本当は、抗癌剤治療で手術ができるようになるのはごくまれなケースで、
母の場合は、外来の抗癌剤治療で延命治療するような状態だったけれど、
医師は、母が希望を持てるように、そしてショックを和らげるように配慮してれた。
とっても良い医師にめぐり逢えたと思う。

告知から数日後に、ガンセンターにセカンド・オピニオンを聞きに行った。
医師から、
「ズバっといわれるから、できるだけ家族も一緒に行ってあげてください」
とアドバイスを受けていた。
家族全員で、1時間かけて出かけた。
待合室で少し待った後、
母と姉で、セカンド・オピニオンを聞きに、診察室へ行った。
「がんは胃の外側まで広がっているから、手術はできない。
場所も悪いから、放射線治療もできない。
TS1とタキソテールの抗がん剤併用療法で、奏効率は約50%。
腹水がでていると、効きにくい。」
やはり、ズバッと言われたらしい。
診察室から出てきた母は、ふらふら歩いていた。
兄が手を差し伸べたけれど、それでもおぼつかない足取りだった。

セカンド・オピニオンを聞き、治療方針が固まった。

2009年1月22日木曜日

こちらのサイトもご参照ください

「胃がん.com」で、このブログが紹介されています。
URL http://www.igan-g.com/
いろいろな方の闘病記録があります。
また、胃がんに関する様々な情報もあります。


「TOBYO」に、このブログが紹介されています。
URL http://tobyo.jp/
胃がんにかかわらず、様々な闘病日記が紹介されています。
病気別、病状別、男女別、年齢別で闘病日記を絞り込んで参照することができます。

2008年2月10日(日)

朝、パン、ヨーグルト、スープ、ソーセージ、サラダ、りんご。
昼、飯、汁(にらと卵)、さば味噌煮、きんぴらごぼう。
夜、飯、ラーメン、酢豚、ヨーグルト、バナナ。

(姉)達が出かける。
帰ってから、(中華料理屋)からの出前で夕食にする。

その後、(姉)と(姉の娘)、(私)で(地元の温泉)に出かける。

テレビ相手にのんびり。

2008年2月9日(土)

朝、ヨーグルト。
昼、飯、さば味噌煮、味噌汁(ねぎ、豆腐)。
夜、餃子、飯、ヨーグルト。

朝、ゆっくり起床。
それぞれ出かける。
(私)と二人で過ごす。

昼は、夫も帰ってきて三人で食事。
おいしかった。

夕方、(スーパー)に買い物に行き、餃子を作る。

夜、(私)からパソコンを直してもらう。

入浴、洗髪をする。
気分良し。
体重も増えてきた。

2008年2月8日(金)・雪

朝、飯、さば味噌に、サラダ、子部に、ヨーグルト、牛乳。
昼、餅、チーズ、牛乳。
夜、パスタ。

夜遅く、(私)が帰省。
夫、(駅)まで迎えに行く。

2009年1月18日日曜日

2008年2月7日(木)・曇

(母の友人)と電話でおしゃべり。
あちこちに同病が多いことがわかる。

でも、自分のが一番悪く思われたりする。
皆、同様の気持ちで過ごしているのだろうと思われる。

食欲、気分とも上向きに思われるのだから、喜びたい。

明日、(私)に会えるのが楽しみ。

事務所は忙しそう。

朝、飯、汁、ししゃも、ヨーグルト、牛乳。
昼、餅2個、チーズ、みかん、チョコ、クラッカー 。
夜、ビーフシチュー、飯、みかん。

2008年2月6日(水)・晴

午前中、病院。
いつもの通り、採尿、採血、診察。
次回、胃カメラ他、3ヶ月検診をと言われた。

薬局や先生のお話の様子では、
しばらく手術などはなく、この調子で行くらしい。

回を重ねるごとに、
食事が採りやすくなることはうれしい。

適当な運動、散歩は可とのこと。
午後から30分ぐらい散歩する。
山が光っていて気分良し。

朝、飯、汁、ししゃも、ヨーグルト、牛乳。
昼、かつ丼(ミニ)、みかん、せんべい、トマトジュース。
夜、ヨーグルト、煮込みうどん、さんま。

早く春が来ますように。

2008年2月5日(火)・曇

(母の友人)よりお手紙届く。

昼、(母の友人)と(地元レストラン)で食事。
コーヒーも飲む。
おいしかった。
おしゃべりをたくさん。

帰りに、家による。
奈良旅行の話などをする。

帰り、土佐みずきの鉢を買う。

2008年2月4日(月)・曇

(私)が初出勤の日。
メールあり。

(母の友人)にTEL。
話して気分がやわらぐ。

(母の友人)にメール。

2008年2月3日(日)・曇

ゆっくり起床。

朝、おかゆ、イワシの缶詰、ヨーグルト。
昼、温そうめん(卵、ねぎ、ホーレン草、そば)。
夜、海鮮丼。

2008年2月2日(土)・曇

いつもの土曜日。

皆さん、それぞれの所に出かけた。
自分はのんびりゆったり、1日中、横になっていた。

これでは困る。

朝、ヨーグルト、パン、バター、牛乳。
昼、もち、納豆、チーズ、みかん。
夜、水餃子、ヨーグルト、みかん。

ゆっくり休んでいるので、夜になると元気が出る。

春になると、なんでも出来るような気分。

2008年2月1日(金)・曇

午後、美容室へ。
行くのにとまどったが、きれいにしてもらったらさっぱり。

朝、飯、魚(たら)、大根煮、ヨーグルト。
昼、餅、チーズ。
夜、パスタ。

2009年1月1日木曜日

2008年1月31日(木)・曇

昨夜、少々雪が降ったが、過ごしやすい日。

朝、焼きうどんを作り、それを昼食に。

事務所に行き、手伝い。
奥の部屋の掃除をする。

帰って、洗濯。
夕食の用意をする。
テレビは、中国産の加工食品・餃子の中毒のニュースが報じられている。

朝、飯、野菜炒め、しじみ味噌汁、ヨーグルト。
昼、焼きうどん
おやつ、クッキー、さつまいいも
夕、たらの煮付け、きゅうり、くらげ、大根、にんじん煮、ヨーグルト。

夫、夜、合唱サークルへ。

(保険会社)より、入金。

2008年1月30日(水)・曇

午前中、パズル。
午後、事務所。
市役所で電子申告用カードを作ってもらう。

朝、ご飯、卵味噌、納豆、ヨーグルト、バナナ。
昼、カレー、ご飯、みかん。
おやつ、クッキー。
夜、ミートソース、ヨーグルト。

だいぶ日が長くなって、気分も春めいてきたようだ。
5時に家に帰ってもまだ明るい。

今回の治療でまた少しよくなってきたように思われる。
テレビで闘病記を読む効能を話していた。
なんだかまだ読む気分にもならないが、
大勢の人々が病気と闘っていることがわかった。
自分もきっと良くなって行くものと思う。

2008年1月29日(火)・曇

午前中、のんびり。
リビングと押入れの整理。
あまりスカッとしないが、まあまあに整理。

朝、卵、キャベツ、パン、牛乳、ヨーグルト。
昼、餅2個、あんこ、里芋煮物、焼き魚、チーズ
夜、飯、エビフライ、青菜おひたし、サラダ少々


思ったより体重が増加せず、残念。


午後、事務所。
確定申告書類を届ける。

夕食のエビフライを作る。

(母の友人)よりTEL。(私)よりTEL。

子供達と記念に撮った写真をおかずに夕食。

2008年1月28日(月)・晴

午前中、洗濯。

朝、ご飯、焼き魚、豆腐汁、ヨーグルト。
昼、もち、サンマ、りんご等。
おやつ、クリームソーダ。
夕、刺身、ほうれん草、おひたし、ご飯、漬物、ヨーグルト。

まだ、食欲がいまいち。
胸焼け的なものが気になる。

午後、(母の友人)と(花の施設)へ。
春の花を求めて、ドライブ。
草花3鉢(プリムラ、アザレア、?)。
1鉢500円前後で、気分転換。
帰り、(レストラン)でお茶とおしゃべり。

前回のことを思うと、
抗癌剤の回を重ねるにつれて、よくなることが感じられてうれしい。
まだまだ長い路、頑張ろう。

2008年1月27日(日)・曇

今年は思ったより雪が降らないのかも知れないが、
やっぱり、冬は嫌だ。

世界の建物美術100点を長時間見る。

静かにしていたので、副作用もまあまあで、通り過ぎるかも。
なんといっても、食欲が思わしくないのは、スカッとしない。
これは、仕方がないことか。

夜、(姉の旦那)のクリームパスタを食べる。

夫と二人の生活を考えても見るが、
やはり、3人(姉、姉の旦那と娘)は大切な家族。
病気になると、つくづく感じる。

2008年1月26日(土)・雲

今日も身体大切に、ソファと仲良し。

(母の友人)からTELあり。
冬は誰でも、気分が優れない。

夫、(姉)は仕事。
夫は(地元の少し離れたところ)へ。無理をしないよに。
(姉)、昼食帰る。

夕食用のポテトサラダを作る。

今回は下痢から逃れられますように。

2008年1月25日(金)・雪雲

前回のことを思い、静かに静かに、テレビと一緒。

大根と里芋の煮しめを作る。

食欲はいまいちだが、腹痛はなんとかしのげる。

2008年1月24日(木)・吹雪

(母の友人)にメール。
お勤めの人はご苦労様。

一日、ストーブ、テレビ、ソファを相手に暮らす。

昼、餅2個、レバー、みかん、さつま芋、牛乳。
夕食、ヨーグルト、カレー。

無事、一日過ごす。

今日からTS1を飲んでいる。
タキソテールとともに、効果を上げてくれることを願う。

テレビで桃山時代の狩野永徳・洛中洛外図・唐獅子屏風について、ハイビジョンで見る。

(私)よりTEL。

夫、吹雪のため、コーラス

2008年1月23日(水) 【病院】

朝8時20分に家を出る。
予定通り、採血、点滴。
途中で(姉)が病院に来てくれる。
早い出発のため、12時ごろ終了。

検査結果、順調。
白血球のみ少々多かった。

前回のように、副作用が出ないことを願う。

静かにソファとテレビ相手に、日を送る。
気分はよし。

2008年1月22日(火)・晴

午前中、キッチン、ガスレンジ、流し台、玄関の清掃。
気分良く過ごす。

昼、餅2個、レバー、みかん、牛乳で済ます。

美容室からTELあり。
ウィッグを取りに行く。
まあまあ自然に着けられそう。

お天気で散歩に出かけたいところであったが、
明日があるのでテレビを見てのんびり過ごす。
いろいろの記事を見るたび、自分の幸せを感じる。
明日、無事過ごせますように。

午後、おやつにさつま芋を蒸す。

2008年1月21日(月)・晴

午前中、(母の友人)が立ち寄る。久しぶり。
相変わらずのマイペース。
でも、友達と話をすることは楽しい。

(私)を14時15分自宅発で(地元の駅)まで送っていく。
またしばらく会えないが、楽しい土日であった。

かねて頼んでいたパソコンを郵便局からとりに来てもらい、始末する。
こんなことは(私)が頼り。

(保険会社)から保険が下りることになった。

ちょっと食欲に注意が必要。
食前にヨーグルトが良い。

2008年1月20日(日)・曇

(父の仕事関係)の葬儀。
(姉)は、(温泉施設)へ(姉の娘)と出かける。

昼、(私)と残り物で済ます。

思うように体重が増えず、食欲もいまいち。

2008年1月19日(土)・曇

夫、(姉)は事務所へ。
(私)とパソコンの廃棄手続きなどをする。

夜、(父の仕事関係)の通夜。

夕食は、生寿司にしたが、上手く食べられず。
胸苦しい思いをした。

抜け毛、最高潮。

2008年1月18日(金)・曇

(私)が帰省。
午後、事務所まで迎えに行く。
4時30分に(事務所がある場所)へ。

また、抜け毛が気になる。
ウィッグを取りに行ったが、自分の色と合わず。
もう一度、電話の後、出かけることになった。

2008年1月17日(木)・雪時々晴

午前中、降雪。
家の中で、だらだらと過ごす。

昼、除雪の汗のため帰宅。入浴。
昼食は、二人できなこ餅、雑煮、いわしの缶詰で食べる。

その後、事務所へ。
3時のお茶をして帰宅。
途中、(地元スーパー)に立ち寄る。
(母の友人)に会う。
牛乳、さば、落ち、ヨーグルトなどを買う。

夜は、昨日のビーンズスープ、対根なます、ピザ。

夕方、洗濯。

2008年1月16日(水)・雪

一日中、チラチラ雪。
一日中、自分もダラダラ。

昼、もち3個、チーズ、のり、みかん、りんご。
テレビ相手の1日だった。

昨日の天気はもうけもの。

郵便局保険から現金を受け取る。
国保、介護保険の書面葉書来る。

(私)よりTEL。

風呂の清掃、カーディガンの洗濯。

夕食は、ビーンズスープ。